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ゆるりと☆漫画で戦国時代

戦国武将にまつわる逸話をゆるーく、漫画にしました☆それにまつわる観光地やエピソードをご紹介しています!

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上杉景勝が初めて笑った瞬間とは?越後の大大名はどんな人?

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上杉景勝ってどんな人?

上杉景勝は、越後の龍でお馴染み、上杉謙信の養子となり、上杉謙信なき後、上杉家をついだ大名です。
ちなみに、上杉景勝の母親は上杉謙信のお姉さんであります。
最盛期には、会津に120万石を領していました。

 

上杉景勝は笑わない

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上杉景勝といえば、何と言っても直江兼続という有能な家臣がいる事で有名です。
景勝は兼続の5つ、歳上です。幼い頃より謙信の元で共に学び、とても仲も良くて兄弟のように育ってきたと言われています。

非常に寡黙な人であり、上の漫画にあるとおり、生涯で笑ったのはその時だけだったと伝えられています。
(さすがに生涯で一度しか笑った事がないなんて、そんなことはありえないと思いますが・・・。笑)

しかし、それだけ景勝という人物は、無口で無表情、近づきがたいようなオーラを発していたんだろうなぁ・・・と、上杉景勝の人物像が浮かんできますよね!

景勝の義兄弟、複雑な関係・・・

子供がいなかった上杉謙信には、景勝の他にももう一人養子がいました。
北条家から上杉家に人質として送られてきた北条氏秀という者です。

上杉謙信は、北条氏秀を不憫に思い、自分がかつて名乗っていた『景虎』という名を与えました。暖かく上杉家に迎えいれたのです。上杉謙信の人の良さが伝わってきますよね。

そして、上杉謙信は前触れもなく当然この世を去りました。(お手洗いの最中に倒れ、そのまま意識が戻らなかった)

自分がいなくなった後、どちらの息子に上杉家を継いでもらうか決めておらず、急に当主がいなくなった上杉家では、景勝と景虎による後継者争いが起こってしまいました。

一見、謙信の姉の子の景勝のほうが血の繋がりもあるし、有利に思えますが、景虎は北条家という後ろ盾もあり、景勝は油断できない状態でした。
結局、北条家からの援軍が来ては勝ち目がない!ということで景勝側が早期決着をつける為に、景虎の篭る館を包囲、勝利は景勝のものとなりました。

血は繋がってないとはいえ、同じ父親をもつもの同士が戦をするのは戦国時代とはいえなんとも複雑なものです・・・

戦国の世が景勝の笑顔を奪った?

上杉家の後継者争い、景勝側の勝利で終わり、上杉家の跡継ぎにめでたく決まった景勝ですが、この後継者争いにはとても複雑で悲しい事情がありました。

実は争っていた景虎、景勝の妹を妻にもらっていたんですね。
景虎は景勝との争いが起こった時、なんとか助かろうと景勝の包囲から逃れたのですが、仲間だと思っていた人物に裏切られ、万事休す、と自ら命をたってしまったのです。妻と共に・・・。

戦国の世とはいえ、景勝は自分の妹を最悪の結末へと追いこんでしまったんですね。
景勝が異様に感情を表に出さなかったり笑わなかったりするのも、このような悲しい経験から戦国の世の虚しさや厳しさなどを悟っていたのかもしれません。
本当の気持ちは景勝にしかわかりませんが・・・

豊臣家への忠誠、その後の上杉家

豊臣秀吉の天下の時代、上杉は豊臣政権を支える五大老という役職についていました。
五大老には上杉景勝の他、徳川家康前田利家毛利輝元小早川隆景宇喜多秀家がいます。
(五大老だけど6人います。笑)

徳川家康前田利家といったビッグネームと肩を並べれるほどに上杉家は大きな存在でした。
会津120万石、大大名でございます!

しかし、関ヶ原の戦いで上杉家は西軍につき、西軍が負けたことで上杉家も窮地に立たされることとなります。

徳川家康と敵対した上杉家は、会津を没収され米沢の地へ移り変わりました。
会津120万石から米沢30万石、4分の1にも収入は減り、上杉家はかなりの財政難にみまわれました。

というのも、こんな状態になってしまっても景勝は家臣をリストラしなかったんですね。
今までの何倍も貧しい生活を強いられることとなってしまった上杉家の人たちですが、
家臣たちは皆、景勝の事を慕って上杉家を支え続けたのです。

そもそも関ヶ原の戦いは景勝の家臣、直江兼続が家康に送った書状が原因で起こった戦でもあります。
(詳しくはこちら)

moriairin.hatenablog.com


西軍についた武将の中には捕らえられて罰せられたり、家が取り潰しにあったりする武将もいました。
上杉は、徳川家康に頭を下げる事でなんとか上杉家を守りました。
取り潰しにあってもおかしくない状況であったことを考えると、米沢30万への転封は寛大な処置であったのかもれません。

 

上杉家に関する一大イベント行事!

上杉家といえば越後、春日山城でございます。

上杉謙信上杉景勝と城代をつとめたお城です。そしてその春日山城があった新潟県上越市という場所で、上杉謙信をたたえるお祭りが毎年開催されています。

その名も「謙信公祭(けんしんこうさい)」です!
このお祭りは大正15年から続いている歴史あるお祭りなんですね。
鎧を着た武士たちが街道を大パレード!
そしてそれだけでなく、上杉と武田の5度にもわたる「川中島の戦い」を再現する場面もあります。
 
やはり、越後といえば上杉謙信!との事で主役は景勝でなく謙信ですね。
2017年の情報はまだでておりませんが、2016年は8月に行われているので、変更がなければ今年も夏に行われると思われます。
越後、新潟は海の幸も美味しく、空気も綺麗で観光するにはとてもオススメの場所です!
何の計画もなく、夏に新潟へ行ったんですが、適当に行った海は綺麗だったし、なんとなく行ってみた市場もカニや魚など沢山あって美味しく、かなり満喫できました!
 
≪詳しくは「謙信公祭公式サイト」へ≫

謙信公祭とは - 謙信公祭 - 上越観光Navi

 

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