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ゆるりと☆漫画で戦国時代

戦国武将にまつわる逸話をゆるーく、漫画にしました☆それにまつわる観光地やエピソードをご紹介しています!

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意外と血気盛んな徳川家康!家康を支えた家臣に青春の浜松城!

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後の天下人、徳川家康も戦の最中は我を忘れて全力で自軍の応援をしていたそうです・・・ 

逸話漫画『徳川家康、戦で我を忘れる』

 

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戦ではアドレナリン全開の徳川家康


家康は、上の漫画にあるよう、戦になると我を忘れてガンガンと馬の鞍を叩いていたそうです。
自軍が押している時、ピンチな時・・・気持ちが高ぶると鞍を叩きまくる鼓舞モードがあったのでしょうね。
せっかく戦が終わって手の怪我が治っても、また戦で同じ事をするのであるから、じわじわと手が変形してしまったとのことです。

家康自身も、『普通に生活してたら手がやっぱり痛むんだけど、その時になると手の痛みなんか忘れちゃうんだよね』なんて事を言っていたそうです。

戦場という生死をかけた大舞台、一回一回の戦がその後の人生を大きく揺るがすし、大将となれば何百人何千人の命を預かるわけですから、戦場でのプレッシャーや緊張感は凄いものでしょうね。

そりゃ、家康も手の痛みなんか忘れるほどにアドレナリンがでていたに違いない。
戦の大将の気持ちなんか、平和に暮らす我々には一生体感する事がないでしょう・・

若い頃の家康はホトトギスを鳴かせに行っていた?!

家康が天下人になれたのは、『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス』という言葉があるとおり、世の情勢を冷静に見極め、無理な博打はしないというスタイルにあると思います。
しかし、戦国時代の荒波に乗り出した頃の家康は以外にも血気盛んな様子でした。

武田信玄が家康を攻めてきた時のこと、家康の2倍以上の兵力で侵攻してくる武田軍に、家臣は籠城をしたほうが良いと言うも、家康は

『敵に好き勝手されてるのにひきこもってられるか!世の中の人に家康は臆病者だと笑われるのは嫌!勝敗は天が決めるもの、俺は戦うぞ!』

と武田軍と真っ向から戦いました。が、結果は家康の負け。

 

その時、家臣たちは戦場から退くことを家康に提案しますが、家康は『討たれても良い!絶対退かない!最後まで戦う!!』と意地になっていました。

家康を思う家臣たちが家康を成長させた

大将らしからぬ、自暴自棄ともいえる事を言いだした家康を救ったのが家臣たちでした。
正直その時の戦は、徳川軍にはかなりハードな状況で、逃げ帰るのも上手くいくか・・・といったところまで追い込まれていたそう。
そこである家臣は、『私が家康様になりすまし、戦場で戦う!他のものは何としてでも家康様を城に連れて帰ってくれ!』と、戦場に突っ込んでいきました。

家康は半ば強引に、家臣たちに連れて帰られるような状況でした。
家康の身代わりとして戦った者は討たれ、他にも大勢の家臣が家康が無事に生きて城へ戻れるようにと戦い、命を落としてしまいました。

その後、冷静になった家康は自分の為にと命を落とした家臣の事、自分の考えがいかに軽率だったか、色々な出来事を重く受け止め考え方を改めました。
今回の戦は、家臣の話に聞く耳もたず、家康の意地とプライドで突っ走ったからこんな結末を迎えてしまった。
家康はその後、家臣の話にもしっかりと耳を傾け、自分の思いだけで暴走するような事はしなくなったんですね。
たくさんの犠牲がでてしまった戦でしたが、家臣たちの決死の思い、行動が家康を成長させたのです。

 

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徳川家康は現代にいたら理想の上司?


康の立場は、現代でいうと会社の社長ですよね。
なかなか社長に『こうしたほうがいいですよ!』『それはいけない事です!』なんて反対意見は言えないものだし、そんな事を言われると『誰にむかって意見するんだ』と奢ってしまう社長さんもいると思います。

家康は、『そうか、ハッキリと意見してくれてありがとう!参考になる!』と言えるタイプのように思います。
意見されても怒らず、ちゃんとマイナスの意見も受け止める、反省する事ができるのが徳川家康です。

だからこそ家臣もついていくし、良好な関係を築いていけるんですよね。
なかなか立場が上の人には顔色を伺って意見できなかったり、媚を売って本心ではない事を言ったりもしてしまいます。

織田信長豊臣秀吉徳川家康の3人は、戦場時代の3代英雄でありよく比較されますが、この中で誰を上司にしたい?と聞かれたら私は徳川家康と答えます。

織田信長実力主義でプレッシャーがすごそうで、
豊臣秀吉は仕事できても秀吉の気持ち次第で冷遇とかされそうなイメージ・・・
徳川家康は社員一同仲良く頑張ってます!アットホームな職場です!といったイメージです。笑

家康の原点ともいえる浜松城

徳川家康が約17年間、城主を務めていたお城が静岡にある浜松城です。

この浜松城は、家康の他にも城主を務めた人が出世していった事から「出世城」と呼ばれていました。なんとも縁起の良いお城です!

そんな浜松城ですが、今はお城の観光地というよりのどかな公園内にお城がある、といった感じになっております。

 

公式サイトも浜松城公園と、公園表記になっているのでどちらかというと家族むけのスポットかもしれませんが、お城内には展示品もあるし、天守閣からは天気が良ければ富士山も見えちゃいます!

家康公がかつて見たであろう、同じ景色の富士山がみられるなんて素敵ですよね!

 

浜松城、詳しくはこちら≫

www.entetsuassist-dms.com

 

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