読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゆるりと☆漫画で戦国時代

戦国武将にまつわる逸話をゆるーく、漫画にしました☆それにまつわる観光地やエピソードをご紹介しています!

【スポンサーリンク】

雑談!知っとく?関ヶ原の戦い、それぞれの武将達の思い・・・

西軍の総大将、実は石田三成じゃなかった

関ヶ原の戦いとは1600年、豊臣秀吉なき後に起こった、豊臣家家臣達による派閥がもとで引き起った大戦です。
関ヶ原の戦いといえば東軍・徳川家康VS西軍・石田三成です!
西軍側の大将といえば石田三成!といったイメージがあるかもしれませんが、実は西軍の総大将は石田三成ではないんですね。

 

 
関ヶ原の戦いが起こるにあたり、中心となって奔走していたのは石田三成ですが、同僚であり親友の大谷吉継
「三成、お前が総大将になったら西軍ダメになるかもだからやめときな?三成はあんまり人望ないからさ?」
なんてアドバイスをされたので、西軍の総大将は中国地方で名を馳せていた大名の毛利輝元になったんですね。親友にそんな事いわれちゃう石田三成はどんだけまわりに敵作ってたんだっていう・・・。笑
 
そして関ヶ原の戦いは言ってしまえば、豊臣家の家臣たちによる壮大な大喧嘩・・・、
徳川家康豊臣秀吉がいなくなった途端、「今がチャンス!」と、自分の権力を拡大していきました。
徳川家康は秀吉が存命の間は「豊臣家はワシが支えていきます!」と秀吉に言っていましたし、素直に秀吉に従っていたんですが、見事な手のひら返しです。

豊臣家家臣達にあった派閥とは?

そんな家康を良しとしなかったのが石田三成たちです。三成は幼い頃から秀吉に仕えてきた豊臣家一筋の人間です。
豊臣家の家臣といえば、加藤清正福島正則が有名ですが、彼らは石田三成の事を嫌っていたので関ヶ原では徳川家康の味方につきました。

加藤清正福島正則も、子供の頃から秀吉に仕えてきた豊臣家の重臣です。
家康は、この豊臣家の重臣たちの派閥をうまく利用しました。
石田三成の言い分は「徳川家康は豊臣家をのっとろうとしている!」といったところ、
家康の言い分は「言いがかりやめな~。ワシは秀頼様を盛り立てていくように頑張ってるぜ(嘘だけど)」といったところです。

加藤清正福島正則からしたら、三成も家康も豊臣の為に働いている家臣、だったら嫌いな三成につくより、権力もある家康につく!となり、家康の味方につきました。

それぞれの葛藤、裏切りの関ヶ原

関ヶ原の戦いが始まる前、東軍、西軍どちらに味方に付くか各国の大名は悩みました。
加藤清正福島正則のように三成嫌い!といった私情で動く人もいますが、現実はそんな簡単な話ではないんですよね。

各国の大名はどちらに味方につくか?
どちらが勝敗に有利なのか?
自分の立場を守るにはどちらにつくのが良いのか?

色々な事情を抱えて大いに悩みました。その結果、いたるところで裏切りがあったりしたわけです。
有名なのが小早川秀秋です!彼は徳川家康につくか、石田三成につくか、ギリギリまで悩んでいました。
表向きは石田三成に味方していましたが裏では「東軍の味方になってね!よろしくね、秀秋くん!」と家康に頼まれていたのです。
「どうしよう、どっちが勝つのかわかんない・・・」と、小早川秀秋は戦場であたふたとしていたわけです。

戦が始まっても小早川の軍は動かない、家康はそれを遠くから見ていました。
「何やってるんだ!動け!!小早川ー!!」と、家康が小早川の軍に向かって合図を送ります。
「ヤバイ!!家康様が怒ってる!!」とビビった小早川は土壇場で家康の味方につき、隣にいた西軍の大谷吉継に襲い掛かったのです。(最低です小早川殿!)
それを見た他の西軍の武将達も、「小早川が家康の味方についた!じゃあ俺たちも!」と一気に裏切りにでたのです。

小早川がここで裏切っていなかったら、三成が勝利する未来も十分にあったといわれています。小早川は関ヶ原の戦いでのキーマンなんですね。
そんな小早川秀秋関ヶ原の後に石田三成大谷吉継の亡霊に悩まされ、かなり気を病んでいたといいます。
戦国の世、裏切りは仕方ない事とはいっても、心の葛藤や重圧は相当なものだったんでしょうね。戦国時代でのしあがるには、
「裏切りがなんぼのもんじゃい!いちいち人の事なんか気にしとられんわ!」
というようなメンタルの強さを持った人じゃないとダメなんでしょうね・・・。

女のプライドが豊臣家を滅亡させた?

関ヶ原の戦いにて勝利した家康、家康の邪魔をする石田三成はいなくなり、そして家康と肩をならべる権力を持っていた前田利家もしばらくして世を去りました。
恐れるもののない家康は突っ走ります。豊臣秀吉の子、豊臣秀頼がいましたが、もはや家康の権力はそれに勝るものになっていきます。
 
家康が何をしても、まわりの人は何も文句がいえない状態ですよね。
どんどんと権力を拡大、ついには「征夷大将軍」という、武家で1番偉い称号自分につけちゃうほどです。
これには秀頼サイドも激おこプンプンです。秀頼のお母さんである淀の方は絶対に家康を認めないし許さない!と敵対していきました。

その結果、大阪冬の陣、夏の陣と2度にわたり戦が起き、ついに豊臣家は滅亡してしまったのです。
家康は秀頼が自分に頭を下げてくれさえすれば、豊臣家を潰そうなんて考えていなかったそうです。
淀の方が「家康に頭を下げるなんてプライドが許さない!」と、意地をはってしまったんですね。女性は感情的にものを言うといいますが、まさに、ですね・・・。
 
淀殿がプライドや世間体などを気にする事なく、家臣や豊臣家の存続の事を1番に考える事ができていたなら豊臣家の歴史はもっと続いていたでしょうね。
しかし人の上にたつ、というのは難しいですよね、とんでもないプレッシャーがあるでしょうし、自分の判断で何十人何百人もの人生を左右してしまうんですから。
戦国時代というハードな時代ではなおさらですね・・・。
 

【スポンサーリンク】
 

関ヶ原を楽しむならココ、「関ヶ原ウォーランド」!

f:id:moriairin:20170427194306j:plain

関ヶ原ウォーランド、ご存じでしょうか?知る人ぞしる日本の珍・戦国時代観光スポットです!

関ヶ原の戦いを再現した等身大の人形が、広大な土地に沢山展示されています!

かなりシュールであり、つっこみどころも満載で面白いです。

関ヶ原の戦いの頃にはいなかった武田信玄の人形もあるというカオスっぷり。笑)

名だたる武士たちと、たくさん写真を撮ったりするだけでも楽しいのですが、施設内には資料館もあり、当時の甲冑や武具、書状なども見られます!

おみやげコーナーも充実、お食事処もアリ!入場料も大人500円とリーズナブル!

是非ともお立ち寄りください!オススメの戦国スポットです!

≪公式サイト≫

住所:岐阜県不破郡関ケ原町1701-6

【スポンサーリンク】
 

ブログ、記事リンクフリーです。 画像のみの無断転載はご遠慮願います。 ©moriairin